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八幡山

  • Category: ご紹介
  • 2019.04.01

桜の季節がやってきました!
お花見にはもう行かれましたでしょうか?

 

私は毎年、八幡山に桜を見に行きます。南郵便局側の登り口から登ります。登る道沿いに桜が咲いているので、桜のトンネルをくぐりながら登ります。登るといってもそんなに高くない山なので、すぐ頂上に着きます。頂上にも桜が咲いており、天気がいい日には富士山も見えます。
桜も綺麗で富士山も綺麗!最高です!
今年も見に行こうと思います。

 

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八幡山と調べてみたら、昔古墳と城があったそうです。地元人なのに初めて知りました・・・驚きだったので載せてみました。
まだ寒い日もあります。お身体にはお気をつけ下さい。

 

八幡山古墳群
八幡山(標高63m)の尾根と南向き斜面に分布。八幡山1号墳(八幡山山頂古墳)は、古墳時代中期(5世紀)から後期前半(6世紀前半)頃に築かれた直径約30m、高さ約2mの円墳または帆立貝式の前方後円墳。八幡山2号墳(八幡神社古墳)は、墳丘をほとんどもたない古墳時代後期後半の横穴式石室墳。明治22年(1889年)、八幡神社本殿新築の際に発掘され須恵器、勾玉、丸玉などが出土。この地域を支配していた豪族 有度郡牛麻呂(うとべのうしまろ)の墓とする伝説あり。八幡山3号墳は、丘陵南西端の山麓に築かれた古墳時代後期末の横穴式石室墳。戦前まで、18基の古墳があったといわれています。

→静岡観光おでかけガイド(http://blog.livedoor.jp/shizuokak/archives/1799182.html

 

八幡山城

応永18年(1411)頃、駿府へ入った駿河守護今川範政は、周辺の要所要所に城塞を築いて駿府防衛の万全を期した。八幡山城もその一つである。文明8年(1476)今川氏のお家騒動で、鎌倉から派遣された太田道灌の軍勢がここに布陣した。この紛争は今川家の客将伊勢新九郎(後の北条早雲)の活躍によって一応の落着をみた。八幡山城は、駿府城へ1.5km、北方愛宕山城へ2km、東方小鹿範満の館へ2km、西方安倍川を経て持舟(用宗)城まで5km、それらはすべて指呼の間に一望することのできる重要地点であった。そこで、新九郎は八幡山城を修築して、その麓に居館を構え、自ら駿府の警護に当っていた。長享元年(1487)小鹿範満を倒して、今川氏親を駿府館へ迎え入れた後、新九郎は興国寺城(沼津)へ移った。永禄12年(1569)武田信玄の第二回駿府侵入以来12年間にわたる武田軍占領時代には、他の城塞と同じくここを使用した。天正10年(1582)武田氏が滅びて徳川家康が入国したが、天正18年(1590)関東へ移った後廃城となったと思われる。城址は標高63.7m、南北500mの独立丘陵で、近年公園となり、大きく変貌したが、今なお曲輪や空堀などの遺構を見ることができる。

→墳丘からの眺め(http://massneko.hatenablog.com/entry/2018/01/07/000000

 

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